「バングラデシュは危ない国ですか?」とよく聞かれる。答えは単純ではない。平時のダッカのビジネスエリアは、多くの途上国の都市と比べて特別に危険というわけではない。しかし「有事」が突然やってくる国でもある。そしてその「有事」は、まったく予告なく始まる。
私は2024年7月、その「有事」の真っ只中にダッカにいた。観光でも出張でもなく、バングラデシュ人の友人の結婚式に出席するために訪れた。結婚式は中止になった。そしてホテルの窓から戦車が見えた。
012024年7月——私がダッカにいた理由
バングラデシュ人の友人から結婚式への招待を受けたのは、2024年春のことだった。式はダッカのミルプール(Mirpur)エリアで行われる予定だった。ミルプールはダッカ北西部に位置する住宅街で、世界最大のクリケットスタジアム「シェール・バングラ・ナショナル・スタジアム」があることで知られる。
私は7月半ばにダッカに到着した。スタジアム前のホテルに宿泊し、翌日の結婚式を楽しみにしていた。しかし——到着した翌朝から、街の雰囲気が明らかにおかしくなっていた。
02ホテルの下に戦車が来た日
デモが激化したのはその日の午後だった。遠くから怒号と爆発音のような音が聞こえてきた。ホテルのスタッフから「部屋から出ないように」と告げられた。窓から外を見ると——ホテルの真下の大通りに、軍の戦車が展開していた。
友人の結婚式はこの日、正式に中止が決まった。友人からのメッセージには「ごめん、今は何もできない。安全でいてくれ」とだけ書いてあった。
死者数(推定)
(〜2025年初頭)
インターネット状況
032024年学生デモとは何だったのか
この騒乱を理解するには、背景を知る必要がある。2024年7月に始まった大規模デモは、公務員採用における割当制度(クオータ制)への反発から火がついた。
単なる学生運動がなぜここまで拡大したのか。背景には15年間続いたハシナ政権への蓄積した不満、経済格差、若者の就職難があった。クオータ制はその不満の導火線に火をつけた形だ。バングラデシュでは政治的な爆発が「突然」起きる。これがこの国のリスクの本質だ。
04ネット遮断・外出不能——「有事」のダッカのリアル
デモが激化した数日間、ダッカで起きたことを正直に書く。
- インターネットの完全遮断:モバイルデータ・Wi-Fiともに遮断。家族への連絡も取れない時間が続いた。SNS・LINEが使えず情報が遮断された。
- 人が消えた街:普段は渋滞と人混みで溢れるダッカの街から、人と車が消えた。外出は命がけという雰囲気だった。
- 血を流した人:ホテル周辺でも、負傷者が運ばれていく場面を目撃した。デモ隊と治安部隊の衝突は激しかった。
- 食料・物資の不足:外出できないため、ホテルの備蓄に頼るしかなかった。いつ状況が改善するか全くわからない恐怖があった。
- 情報の真空:ネットが遮断されているため、何が起きているのか・いつ終わるのかが全くわからなかった。
05インドに逃げ込んで帰国するまで
数日後、状況が若干落ち着いたタイミングを見計らって、私はダッカを脱出することにした。しかし空港への直行ルートが安全かどうかわからない。そこで選んだのが陸路でインドに入り、そこから帰国するルートだった。
バングラデシュ・インド間には複数の陸路国境があり、状況が落ち着いたエリアの国境から入国。コルカタ(カルカッタ)に出て、そこから日本行きのフライトを手配した。ダッカから直接帰国する予定が、インド経由という予定外のルートになった。
06平時のバングラデシュの治安——正直な評価
上記の経験を踏まえた上で、平時のバングラデシュの治安について正直に評価する。極端に危険な国でも、極端に安全な国でもない——それが正直なところだ。
07ビジネス渡航者が知っておくべきリスク管理
2024年の経験から学んだことを、これからバングラデシュに渡航するビジネスパーソンへの実践的なアドバイスとしてまとめる。
- 外務省の危険情報を確認:渡航前に必ず外務省の「危険情報」「感染症危険情報」「スポット情報」を確認する。特に政治情勢の変化に注目。
- 在バングラデシュ日本大使館に登録:「たびレジ」または在留届を提出。緊急時に大使館から情報が届く。
- 現地のSIMを複数キャリアで持つ:一つのキャリアがつながらなくても別のキャリアで通信できる場合がある。
- インド・タイへの脱出ルートを把握:陸路国境の場所・空港へのルート・近隣国への移動手段を事前に調べておく。
- 現地パートナーの緊急連絡先を複数確保:ネットが遮断されても連絡できる手段(電話番号)を複数持つ。
- 渡航時期に注意:選挙前後・大型デモの予告がある時期・ラマダン期間などは渡航を慎重に検討する。
- 海外旅行保険は必須:緊急移送・医療費のカバーが手厚いプランに入る。
- 野次馬でデモに近づかない:デモ隊と治安部隊の衝突に巻き込まれるリスクが極めて高い。
- SNSに現地の政治的コメントを投稿しない:外国人であっても拘束されるリスクがある。
- タクシー・リキシャで単独移動しない:混乱時は必ず信頼できる現地の人間と行動する。
- 情報を一つのソースに頼らない:ネット遮断時はBBC・VOAなどのラジオ放送が有効な情報源になる。
08よくある質問(FAQ)
09まとめ——バングラデシュには行くべきか
この問いへの私の答えは「行くべきだ。ただしリスクを知った上で」だ。
2024年7月の経験は確かに怖かった。戦車、ネット遮断、血を流した人、インドへの逃避——これは現実に起きたことだ。しかしそれを踏まえた上でも、バングラデシュには行く価値がある。成長する市場、親日的な人々、日本人が入り込める無数のビジネスチャンス——これらは本物だ。
- 2024年7月のダッカ:ホテル下に戦車、ネット遮断、街から人が消えた。これは現実に起きた。
- 友人の結婚式は中止。最終的にインドに逃げ込んで帰国した。
- 2024年学生デモはハシナ政権15年の終焉をもたらした。混乱は約6ヶ月続いた。
- 平時のビジネスエリアは比較的安全。「有事」が突然来るのがバングラデシュのリスクの本質。
- 渡航前にたびレジ登録・脱出ルートの把握・現地緊急連絡先の確保が必須。
- それでもバングラデシュには行く価値がある。リスクを知った上で、準備して入れ。